紫色に包まれて

ニコチンとタールの間で産まれました。私は両親が大好きです。

確かにそこには死生があった

それは予期せぬ連絡で、酷い眩暈を感じる程には驚愕と恐怖が私の心を揺さぶったのだ。

午前3時を回った頃だ、TwitterのTLを空っぽの頭で茫と眺めていた私の元へ、一通のDMが届いた。

私のアカウント名を呼ぶその連絡は、前々から接点のあった相互の女性フォロワーからの物だった。私は特に気にすることもなく「はぁい、いかがされました?」なんて緊張感に欠けた態度で返信をしたのだ。

そして、その次の、たった数文字にしか過ぎない、ただの文字の組み合わせ、ただ画面に映されただけの模様に、酷い寒気を感じた。

「死ぬことにした」

本当にたったこれだけだった。

以前から、彼女の半生に関する、所謂愚痴や、今後の人生に関する相談をDMでやり取りしていたのは事実だ。

しかし、こんなにも早く、こんなにも唐突にそれが、それも自分のところへ転がり込んでくるだなんて、夏の夜の夢にも思ってなどいなかったのだ。

私は、止めることをしなかった。

それは正直に、はっきりと言おう。

怖かったからだ。

死ぬことをここで止め、生に対する希望を説く、だなんて私にはできっこなかったからだ。

酷くエゴイズムに塗れた理由で、でも怖かったのも事実で、彼女の続きを黙って待った。

思いのほか、1分もきっと経っていない間にいくつかのDMが立て続けに届いていた。

「最後のメッセージは貴女」

「タクシーがつくまで相手をして」

「上手くいくかも、しれない」

私は、少し震える指でキーボードを叩き、色んな文章を頭の中で考え、何度も消して、何度も書き直して、結局

「いいよ、話をして?何でも聞きたいわ」

としか返せなかった。

そこから、彼女の痛嘆たる思いがひしひしと伝わってくる独白が、一気に押し寄せた。

 

「たくさんのことが、うまくいかなかった」

「がんばったつもりだったんだ」

「本当に、全部」

「でも何も返ってこなかった」

「疲れてしまったのかも」

「死にたいと死ねないと真ん中でぐるぐるしていた」

「でも私の人生は、美しかった」

「私の世界だった」

「私だけのものだったんだよ」

「これから先もそう」

「私は誰かになんか、コンテンツにすらなれなかった」

「でも良かった」

「死んだあとって何も無いから」

「その事実に救われていたんだ」

「私は私の綺麗な世界を壊さないために」

「おわりをつくる」

 

ぞっとした。

様々な人が居ると思う。

この連絡を貰っても、何も感じない人、そもそも返信なんて最初からしない人、気が付かない人、生の尊さを説く人、説教をする人。

その中でも私は、とにかくぞっとしたのだ。

真夏だと言うのに、部屋にはひやりとした空気だけが私を包んでいたのだ。

でも、私がした返信は酷くつまらないものだったと言う自覚はある。

「素晴らしいね」

と。

何がどう、と聞かれてももうその時の心境には戻れない今の私からはとりあえず、端的にそう感じたのだ、としか言えない。

私は、何を書くか、本当に迷った。

どうしよう、どうしよう、と動揺が精神を揺らし続けた。

私が選んだ次の台詞は、もうどうしようもなく的の外れた話ではあったが、なんとか彼女の気がそれるような話がしたかったからだ。

「私は、あなたの死を止めることはしない」

「でも、きっとどこかで出会えていたら、良いお友達にはなれたかもしれないね」

返信はこうだ。

 

「じゃぁ、勿体なかったかもしれないね」

「きっとこれは忘れないし、無かったことにはならないよ」

「幸せなんかじゃなくていいから、人の様に生きていくの」

「ね。」

 

これが彼女から来た最後のメッセージだ。

それからはもう何も返ってこなかった。

私は、察した。

察したくもなかったが、察するしかなかった。

何故私だったのだろうか。

何故私は何も言えなかったのだろうか。

最初から触れるべきではないパンドラの箱に触れてしまった私はどう責任を取れば良かったのだろうか。

もう、頭痛のピークが数瞬前からやって来ていて、次に扉を叩いたのは後悔の二文字だった。

私はそう、それでも、もうどれほど遅くとも

自分への言い訳

として、そのDMに自分の電話番号を載せ、「生きて、どうしても話がしたくなって、誰にも言えない状況だったら、此処に電話をかけて」と送り、煙草を一本取り出すとベランダへ出た。

 

もう、何が何だか分からなかったし、とにかく落ち着きたかった。

薄着のままで出たにも関わらず真夏の空気はじっとりと不快な肌触りをしていて、高い湿度はライターの着火を3度邪魔した。

煙草を一口、かなり長く吸い込み、痛む頭から次に出た言葉は最悪の一言に尽きる。

仕方がない、仕様がない、だ。

 

だってそうでしょう。私にはどうすることも出来なかったじゃないか。

それに、真夏のホラーごっこ真っ最中で、たまたまTwitterお化け屋敷に気づく間もなく足を踏み入れていた可能性だって否定できない。

 

あるいはだ。

 

そう思った。

たったそれだけの事だったかもしれない。

ただただ、心情の吐露をしたかっただけかもしれない。

そこに好意も嫌悪も善意も悪意もなく、ただ話したかっただけで、私でなくとも良かった話で、吐き出し終えた彼女は温かい布団で今眠りに落ちていっただけかもしれない。

それが偶然私の精神を揺さぶる様な文言だったとして、人によっては嫌がらせとさえ受け取れる物だったとさえしても、朝になって

「今起きた!」

と連絡が入っていたら

「おはよう、よく眠れたかしら?」

以外に言うべき言葉はないはずだ。

 

ニコチンとタールは強力な脳への鎮静効果を遺憾なく発揮し、吸いきる頃には、何がどうあれ、今この瞬間に出来ることは万に一つも無いと断じ、目が冴えてしまった私は前々から見たかったアニメでも視聴しようとPCの前で眠らない夜を覚悟したのだ。

 

それから30分後だ。

アニメを一話分消化し、さて次はどれを見ようかと動画サイト内をうろうろ徘徊中の私の元へ非通知の電話がかかって来た。

もうこの時点で私は殆ど、この三連休の予定を組み立てていた。

電話を取ると、初めて聞く声音が鼓膜を揺さぶる。

 

「だれーだ」

 

本当にこんな可愛い文句から電話を始めるものだから、私は初恋のときめきなんてものの片鱗を思い返してしまった。

 

「こんばんは、でよろしいかしら」

 

その時既に四時を迎えていて、朝日も地平線の陰からちらちらと此方を窺っているような時間だったからだ。

 

「こんばんは」

 

「さて、そうね。良かった、ではおかしいですね?」

 

「良かったはおかしいなぁ」

 

「でしょうね。今、貴女はどこにいるの?」

 

「歌舞伎町の公衆電話」

 

「わかりました、安全な場所にいるんですね。では、何があったか、ゆっくりとお話していただけるかしら」

 

「う~んと、そうですね。どこから話そうかなぁ」

 

私はiPhoneを片手に、その時にはもう出かける準備をしていた。

マップを開いて現在位置から歌舞伎町までを調べると、高速ノンストップで5時間との表示が出て、なんて事はない、愛と勇気と速度だけが私の友達だなんて色彩豊かなプログラムがタイトルの楽曲を口遊みながら車のエンジンをかけ、私は久しぶりの東京旅行へと向かった。

 

車中での電話は、あまり中身は無かった。

ただ、それでも彼女は沢山の話をしてくれた。

内容については多くのプライベートな情報を含むため詳しい言及は控えるが

自殺の原因

彼女の半生

家庭環境

現状の状態

恋人について

 

そして、この後何度も口にする

 

この先どうしたらいいのだろうか

 

ざっと、こんなものだっただろうか。

 

「まぁ、そんなところかなぁ」

 

「そう、分かりました。ではこの三連休、貴女はお暇なんですよね?私と東京観光してくださらない?」

 

「え、いいですけど、東京来るんですか?」

 

「もう高速が目の前」

 

「え、あ、はい。え?」

 

新宿駅で落ち合いましょう。LINEのIDを送りますから、随時連絡します、4時間後には到着予定です」

 

「わ、分かりました……また連絡してください」

 

電話番号を送った時に決めていた。

後悔が先に立たないのなら、後悔しない計画を予め立てておくべきだと。

もしもこの、誰もこんな時間にかけてくることが無いのは私に友達が少ないことを除いたとしても明白な白いiPhoneが鳴ったのなら、九州と北海道でさえなければ必ず彼女に会いに行こうと。

 

彼女との電話を終えると、私は時速90キロで動く鉄の塊に全神経を集中し、肉体を預けた。

特に急いでいたわけではない。

私の旅行はいつもこんな具合だ、朝起きて、行きたい場所があるのなら、あとはそこまでトイレ以外はノンストップ。

たったそれだけ。

車中でその四時間、私は様々な事を考えたが、その全ては二つのタイトルで分けることが出来る。

 

私は、この行動の結果、何を求めているのか

 

そして

 

彼女は何故そうなってしまったのか

 

本当にこの二つだ。

ずっとこれだけ考えていた。

たったそれだけ考えていた。

当然、車中でその答えは出なかったが、考えている時間はあっという間で、一度トイレに数分車を降りた以外は常に走り続け、明朝からスタートした弾丸旅行は10時手前には東京新宿駅に到着していたのだった。

 

「初めまして」

 

彼女は黒いオープンショルダーの可愛らしい上半身に赤いロングスカートで、腕に刻まれた無数の傷以外はなんて事の無い、街中でよく見かける少女の姿で私を出迎えてくれた。

今年で18歳の彼女は、もう21年生きた私の肌とは比べるまでも無くきめ細やかな頬をしていて、たった三年間でここまでの差が出るのかと老いとやらに辟易してしまったのをよく覚えている。

 

「こちらこそ、初めまして。どこか行きたい場所はある?」

 

「ん~!無いな!」

 

「では海までドライブしましょうか」

 

「はい!」

 

二人で車に乗り込むと、煙草臭い車内で彼女はくるくると回りだしてもおかしくない程に高いテンションで、愉快に痛快に、そして幾らかの寂寞感をそこかしこに滲ませつつ、電話では話しきれなかった多くの事を話してくれた。

彼女は首吊りに失敗したようだった。

首吊りの経験がある私は、あれはダメなときは本当にダメだと言う事をよく理解している。

中途半端にベルトやそこらへんの木などで行うと自重に耐えきれず失敗する。

自殺とは、実を言うと計画性が何よりも大事だったりする。元から、死にたくなったら必ず成功する算段を立てておかねばならない。

私は過去に二本、ベルトをダメにしてしまっている。一本は元恋人に頂いた物なのだから当時の恋人に申し訳がないなと今では思う。

確かに、自殺には勢い、もっと言えばノリ、みたいなものも必要だ。

限界まで引き上げたテンションが無ければ、なかなか出来ない。ただ、やはりそれだけでは上手く出来ないのが上手く出来ているな人間、なんて感じる。

実際に死ぬ直前の人間は、鬱屈した態度で部屋の隅に膝を抱え泣いているような事は、少なくとも私自身の経験から言わせてもらえばあまりないのではないかと思う。

私は確か、初めての自殺直前ものすごく走った思い出がある。

田舎に住んでいた当時の私は、とにかく町を笑いながら、涙で滲んだ視界なんて気にも留めずに走り散らかした後、公園の手ごろな木にその時身に着けていたベルトを使い首を吊った。

その時

絶対死ねる!

と本気で思った。

私は此処で死ぬんだ!!!ざまぁみなさいな世界、現実、社会!!!

と本気で叫んだ。

まぁ、結果は惨敗だ。

今も私がここで生きている事が何よりの証明だ。

だが、だからこそ、18歳の少女の死に触れ、彼女のテンションがその余韻である事は理解が出来た。そして、私があの時何を求めていたのか、ある程度だし、これは自分の事だから彼女にもそれが当てはまるかどうかは分からないが、それでもきっとこれなんじゃないか?と思う人を思い出していた。

 

私の話を、ちゃんと目を見て聞いてくれる

 

大人

 

だった。

 

誰かに話を聞いて欲しかった。

誰にも否定してほしくなんかなかった。

辛かった、苦しかった、痛かった。

どうしようもなかった、私の過去なんて、確かに酷く下らない物で、今では鼻で笑うようなことばかりだ。

 

でも

それでも

あの時の私はどうしようもなかったんだ。

どうすることも出来なかったんだ。

私は確かに過去を笑うが、自分を否定しようだなんて夢にも思っていないし、何よりも

 

今目の前の少女を否定するつもりも一切ない。

 

人間は脆弱だ。

精神はもっと脆弱だ。

肉体の傷はほっとけば治る、肝臓だってプロメテウスによれば鷹に突かれても再生する。

だが、精神の損傷は、二度と治ることはない。

これだけは私の持論だ。

医学的に、科学的に、治る証明が為されたとしても、既に為されていたとしても

私の感情

がそれを許すことはない。

絶対に許さない。

 

だから彼女に、もう死ぬなんて考えるな、なんてこの旅行中一度も言う事はなかった。

むしろ、死を受け入れましょう、希死念慮とお友達になりましょう。

と何度も語ったのだ。

 

彼女は多くの質問を私に投げかけた。

これはどういう事なのだろうか、あれは何故あるのだろうか、なんて。

その全てに私なりの、私自身の言葉で答えることが出来たのではないかな?と自信はある。

 

ただ、この先どうしたらいいのだろう?

の答えだけは、出してあげることが出来なかった。

自殺の理由は、半同棲している恋人との喧嘩だったらしい。

しかし、それだけではないと私は感じていた。

彼女の中にある心のコップになみなみと注がれた感情を零した最後の一滴がそれだった、というだけだ。

生きていくうちに、心を蝕んでいった過去が彼女をどうしようもない場所まで連れて行ってしまい、最後の最後でその背をツンと突いたのが、偶然その出来事だっただけにすぎないと。

人の自死は、突然ではない。

10年、20年、30年、長く生きていけば行くほど、割り切れない思いが募り、それが私達を崖っぷちまで追いやるのだ。

そして、その最期の一撫でが彼女にとってはそれだったと言うだけなのだろう。

 

だとすれば、やはりそれに関して私から出来ることは無い。それだけは彼女の為にも、私の為にも無いと言わねばならない。

これは、誰が何と言おうと、だ。

 

ただ、話し相手が欲しくなったら、私に電話をください、必ず聞きましょう。

 

とは伝えておいた。

私が昔欲しかった、ちゃんと話を聞いてくれる大人ってやつに、少しでも近づきたかったと言う思いと、彼女と向き合い、その結果また自死を選ぶことになったとしても、後悔をしないために、だ。

 

それが彼女の為になったかどうかは彼女自身の中にしかないのも良く分かっているが、それでも自己満足感程度は持って帰って来た。来てしまったと言っても良いかもしれないが。

 

そして、二人で海を見た。

三連休の海は、あまりにも人が犇めき合い、そもそも駐車場にさえ入れてもらえなかったので車窓からでしかないが、確かに青々しく、おそらくは数万年前から変わらないその色はとても艶麗に佇んでいた。

その後、お互いに一睡もしていない事を思い出すと、すぐさま近場のホテルにチェックインし、休息を取った。

重い頭を起こして熱いシャワーを浴び、ホテルを出た時には既に深夜で、ファミレスで一食食べた後は、またドライブを続け、朝方友人宅へ行くとの事だったのでそこまで送り届けると、私は帰路に着いたのだった。

 

彼女の話の内容は、先ほども書いた通りあまり多くは書かないこととする。

だが、本人の許可も頂いている為、私の心に残った話を書き記しておこうと思う。

 

彼女には中絶経験があった。

それは15歳の時だ。

その妊娠から中絶に至るまでに書いた日記を頂いたのだが、私は二回涙が滲んだ。

そこにはこう書かれていた。

 

『「彼のことが好きだったのではない。父親としての誠意を見たかったのだ」

 

 彼はどこまでも無責任だった。

 行動の面に関して。

 セックスをすれば妊娠をする可能性がある。

 そういった事実に対してちゃんと真摯に向き合えていなかった。

 

 (中略)  

 

 「ごめん、俺は君に迷惑をかけてばかりだね」

 

 私はこの発言を一生忘れないと思う。

 それは、自分の期待した答えと違っていたからだ。

 失望。ゆっくりと頭を支配する。

 

 「大丈夫だよ。なんとかなる」

 

 そう言い放った私はきっと泣いていた。

 私が求めていた答えは、彼の中に最初からなかったことに気が付いてしまったから。

 

 私は、彼に否定してほしかった。

 私の発言を。

 

 子供を産みたいと思う?

 

 たとえ全額でではなくても、出せる分だけ出すよ。

 少しでも出させてほしい。

 

 選択肢の話じゃない。金銭の話じゃない。

 

 彼の気持ちが、罪悪感が、道徳心が、常識が、そして何より私に対する愛情がない事をたった一言で私に突き付けたのだ。

 

 「ごめん、俺は君に迷惑をかけてばかりだね」

 

 本当はお金なんていらなかった。

 福祉児童の私はそんなこと知っていた。

 

 彼はどこまでも私の期待を裏切った。

 

 「君はどうしてほしいの」

 

 どうして欲しいって。そんなのもわからないの。

 金銭じゃない。目に見えるものじゃない。

 偽りでもいい、私を大事にしてくれれよかっただけだ。

 仕事にだって行けばいい。遊びにだって行けばいいよ。

 でも、私の体調を気にかけてくれるだけでよかったんだよ。

 こまめに連絡をしてくれるだけで、毎日心配してくれるだけで良かった。

 

 たったそれだけのことすらもしてくれなかったね。

 私はサインも、14万円もいらなかったのに。

 ただ、口だけでもいいから

 

 私に対する責任を見せて欲しかっただけなのに。

 

 (中略)

 

 中絶の日、私の今までに感じたことのない不安。

 恐怖。痛み。吐き気。

 全てを彼に伝えたかった。

 伝えなくてもわかってもらえると考えた。

 彼は私のことなんか気にせずに働いていた。

 待合室で一人で泣いていた。

 一時間LINEに既読はつかなかった。

 彼のTwitterを久しぶりに見た。

 Twitterの更新は5分前だった。

 周りに家族も、配偶者も、いなかった。

 誰一人私のそばにいてくれなかった。

 泣きながら手術室に入る。

 手足は震えてる

 声は出ない

 注射の痺れる痛み

 薄らいだ意識

 

 目が覚めた時も、私は泣いていた。

 

 ひとつの命を殺したこと。

 大切にしてもらえなかったこと。

 ただ、怖かったこと。

 

 その全ては今でも消えない。

 これからも消えることは無い。

 

 (中略)

 

 どこまでもつきまとう虚無感の正体を、私は未だに言葉に出来ない。』

 

彼女は他にも沢山日記を書いていた、その殆どを頼んで読ませてもらった。

生々しい、感情がそこにはあった。

少女の感情の根源に近い本音が、そこには多く書き記されていた。

私は、それを受け止めきれずに零れた感情が涙となって何度も嗚咽を漏らした。

 

ここからは、私の話になる。

自分語りが苦手な方はここでブラウザバックしていただきたい。

 

どうしようもない、現実だ。

私は、過去二度の自殺をしてからと言うものひたすらに『無』が私の背中に張り付いて離れなくなってしまった。

無、だ。

無、だけが、有る。

そんな現実。

私は自分が厭世的で、嫌人的だと人には良く語る。

だが、実情はそうではない。

興味が持てないのだ。

どうせ人は必ず死ぬ。

その先には何もない。

その結果出した私の結論は、

『生きるとは、緩やかな自殺である』

この一言に尽きる。

もう日常が辛いと感じる日は殆どない。

仕事なんて死ねば無くなる、友人なんて死ねば消える、愛情なんて死ねば終わる。

虚無と諦観を抱えて明日の先をなんとなく見つめては気まぐれになぞって埃のついた指先に息を吹きかける。

そんな、毎日だ。

死ぬことさえ、あまり考えなくなった。

赤信号を渡れば死ぬし、100キロで走る車で壁にぶつかっても死ぬし、電車に飛び込んでも人は死ぬ。

深く考えずとも、呆気なく人は死ぬ。

 

たったそれだけだ。

 

それだけなんだ。

 

悲しくはない、辛くもない、幸福なんて存在しない、ならば不幸も等しく存在しない。

楽しいなんてない、歓喜なんてもっとない。

 

それでも

 

それでも

 

それでも私は今この震える指と涙が出る自分自身だけは愛していたいんだ。

自分だけは、自分で大切に扱って、それを愛だと叫んでいたいんだ。

そこに嘘なんてないって、信じていたかったんだ。

信じていたいんだ。

誰にもそれを否定されたくなんてないんだ。

 

強く生きて、強く死にたい。

 

こんなにも弱弱しい嗚咽に塗れながら生きて死にたくなんてない。

 

死生は死生だ。

 

生きるなんて行動は存在しない。

死ぬなんて行動は存在しない。

私は今、確かに

『死生』

をしているんだ。

生と死は等価値だ。

そこに優劣はない。

弱く生きれば、弱く死ぬ羽目になる。

嫌だ、それだけは嫌だ。

それは過去に死にたいと泣いた自分に、あまりにも申し訳が立たない。

あの時の自分が、あまりにも可哀想だ。

今を生きる自分を大切になんて、もう出来ない。

未来に希望なんて、存在しない。

でも

 

あの日泣いた私を助けてあげられるのは、ほかの誰でもない

私自身だけなんだ。

 

だから私は強く笑って泣きながら、死生をする。

そうやって、あの日首を吊った自分と約束したんだ。

 

彼女との出会いは、私の酷く冷え切っていた感情を、確かに揺らし、そして熱を生んだ。

諦めきっていた人生を、少なくとももう一度握ったこの拳でぶん殴ってやろうと言う気概が湧いた。

何故ならば

 

確かにそこには死生があった

 

からだ。

彼女は確かに死生をしていたからだ。

抗って、抗って、抗って、そして死んで生きていたんだ。

 

だから私はこの3連休を忘れない。

一生忘れない。

絶対に忘れてやらない。

 

 

 

強く生きて、強く死ね。

これが私から言える、最後の言葉です。

こんな拙い文章をここまで読んでくれたあなたには、精一杯の感謝を送ると共に、あなたの死生が力強いものであることを切に願います。